ヘプバーンとモンロー。両極な2人の共通点

 

 晩年はボランティア活動に専念し、聖母的なイメージのあるオードリー・ヘプバーン。数々の男性と浮き名を流し、ドラッグやアルコールに溺れたセックスシンボル、マリリン・モンロー。両極のイメージをもって語られる2人だが、なぜだかどちらにも強く惹かれてしまう。その理由を掘り下げてみたくなった。

独自のスタイル

 

 2人は美のアイコンとして、今もなお世界中の人々に愛されている。往年の大女優と言えば、エリザベス・テイラーやイングリット・バーグマンなど、著名な人は他にもたくさんいる。しかし、2人は誰よりも “キャッチーな存在” なのだ。ひとつのキャラクターとして、2人のインパクトは他の追随を許さない。

 

 『ローマの休日』で、大胆にショートカットにするあまりにも有名なシーン。鏡をのぞき込み、仕上がりに満足しながらキュートに微笑むヘプバーンのなんとも魅力的なこと! このシーンでヘプバーンに恋をしたのは男性だけではないはずだ。気品に愛くるしさがプラスされた微笑みを浮かべた瞬間、映画界に永遠の妖精が生まれた。

 ヘプバーンが『麗しのサブリナ』で着用していた7分丈のパンツは、その名も“サブリナパンツ”と呼ばれて大人気となる。170㎝以上もある身長を気にしていたヘプバーンだが、その長い脚を生かしたスタイルに挑戦。飾り気のないスタイルは、ヘプバーンの持つエレガンスを強調し、清楚でフレッシュな美を作り上げた。当時、ゴージャスな女優が全盛であったハリウッド。そのスタイルは人々の目に斬新に映った。

 『紳士は金髪がお好き』で、ショッキングピンクのドレスに身を包み、男を手玉に取りながら “ダイヤモンドは女性のベストフレンド” と歌うモンロー。その官能的な姿は、スクリーンを通しても香水の匂いが漂ってきそうなほど。アップで映し出されるうるおいに満ちた表情に、ため息が出たのを覚えている。

 自身を魅力的に見せることに余念のなかったモンローは、歩き姿を長めの尺で撮られるとなると、ハイヒールの片方を短くカットし、魅力的な腰振り歩きのモンローウォークを生み出す。そして濡れた質感を演出するリップグロスなんてない時代に、モンローの赤い口紅の上には、たっぷりとワセリンが塗られていた。

 誰もが羨む美しい2人も、コンプレックスがなかったわけではない。ヘプバーンはエラの張った輪郭を気にし、写真を撮るときは頬を覆うようなポーズをすることが多かった。モンローは整形手術で鼻筋を通し、あの輝くようなブロンドヘアは、実はブルネットの髪を染めていたというのは有名な話だ。

 時代の流れに逆行しようとも、個性を追求したヘプバーン。女性の魅力を最大限に引き出すために工夫を重ねたモンロー。2人の美は天が与えたものだけではない。涙ぐましい努力と研究の賜物だ。

映画の中で・・・

 

 容姿やファッションだけではない。心を掴んで離さないのは、劇中で披露されている2人の歌声だ。偶然にも2人は “河の歌” を歌っている。

 

 ヘプバーンは『ティファニーで朝食を』の中で、ウクレレを片手に「Moon River」を聴かせてくれる。少し雑な歌い方がたまらなく色っぽい。窓辺に座り、誰に聴かせるでもなく物思いにふけりながら歌う姿は、主人公の無防備で自由奔放な役どころが上手く表現されている。

 

 モンローは『帰らざる河』の中で、「The River Of No Return」を歌っている。芳醇なワインの如く味わい深い歌声に陶酔せずにはいられない。2つとも、穏やかな河の流れのように時をゆったりと感じさせ、子守唄のように心地の良く響いてくる。

 

 『ティファニーで朝食を』の作者であるトルーマン・カポーティは、自由奔放な主人公にモンローをイメージして執筆したが、ヘプバーンという逆のイメージの配役に落胆した。しかし、そこはかつてニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークが舞台。ヨーロピアンで都会的なヘプバーンの方が街の雰囲気に馴染んでいる気がする。しかし、モンローで制作されていたらどのような仕上がりになっていたかは興味深い。

 

 2人ともコメディ映画の巨匠、ビリー・ワイルダーの作品に出演し、コメディエンヌとしての地位も確立した。ヘプバーンは『麗しのサブリナ』と『昼下がりの情事』に。モンローは『お熱いのがお好き』と『七年目の浮気』に主演。2人をキャッチーな存在にしたのは、ワイルダー作品との出会いにもある。

語り継がれる2つの香り

 『麗しのサブリナ』の衣装でタッグを組んで以来、ジバンシィのミューズとなったヘプバーン。ジバンシィは彼女に香水を贈り、その名は “ランテルディ” と付けられた。フランス語で禁止を意味する言葉どおり、「私以外に使ってはダメ!」という思いが込められている。

 

 現在は香りが刷新され、世に出回るようになったランテルディだが、もともと海苔や土の香りと表現されるシプレ系の香水だった。シプレの強い香りは香水上級者が好むと言われ、使いこなすのが難しい。香りに負けない存在感が、纏う女性に必要とされる。まさにヘプバーンならば似合う香水だった。

 

 そしてモンローの香水と言えば “シャネルのNo.5” というのは多くの人が知るところだ。

 記者からの「寝る時は何を着ているのですか?」という質問に対し、「シャネルのNo.5よ!」と答えたモンロー。何も着用せずに裸に香水だけを纏って寝ているのだと世間を賑わせた。しかし、英語で服を着ることは wear で、香水を纏うことも wear と表現されるため、モンローのウィットに富んだ答えだったと言われている。

 シャネルのNo.5は、アルデヒドという香水としては珍しい脂っぽい香りが調合され、かなり濃厚でクセが強い。愛好している人も多い香水だが、一筋縄ではいかない香りは、その色気に迫力のあるモンローだからこそ使いこなせるものだ。

 36歳の若さでこの世を去った際に、ベッドに横たわっていたモンローが裸であったことから、普段から裸で寝ていたという説が濃厚になり、この “裸にシャネルのNo.5” という話が語り継がれることとなる。

不遇な少女時代

 2人を語るのに忘れてはならないのが、不遇な少女時代を過ごしてきたということだ。

 ヘプバーンはナチス占領下のオランダで多感な時期を過ごした。バレリーナであったヘプバーンは、レジスタンス運動の資金集めのため、地下室で踊りながらの生活を送り、極度の栄養失調から生命すら危ぶまれた。後にユニセフの親善大使となるヘプバーンだが、自身が食料や物資の援助を受けていたからこそ、その活動の重要性がわかると語っている。

 

 モンローは父親が誰であるのか、ハッキリしたことはわからなかった。加えて母親は精神を病んでしまい、親戚の家や孤児院をたらい回しにされて育った。あたたかい愛情を知らずに育ったモンローは、人々に愛されたい一心で女優の道へと進む。しかし、人々の興味は役者としてではなく、セックスシンボルとしての彼女に注がれた。その豊満な肉体を誇らしく思っていたモンローだが、人々の目がそれだけに注がれるのは不本意だった。すでに確固たる地位を築きながらも、女優として認められたい思いから、演技指導の第一人者であるリー・ストラスバーグの下で演技力を磨いていった。

 ドラッグやアルコールに溺れた晩年は褒められたものではないが、悲しい生い立ちと、その後のひた向きなエピソードを耳にすると、なんだか胸が熱くなる。

 

 戦争により雲隠れ生活を余儀なくされたヘプバーン。孤児院育ちのモンロー。その後、戦争に翻弄されたヘプバーンは子どもたちに愛を与え、境遇に翻弄されたモンローは一生愛を探し求める人生となった。

 

 2人の美しさには憂いがある。日向だけでのびのびと育ってきた美しさとは違う、影を背負った奥行きのある美しさ——。抑圧され、満ち足りた少女時代を過ごせなかったことが、2人に爆発的なパワーをもたらし、原石として与えられた美しさを持って、世界へと羽ばたいた。

©︎ 2017 MarikoWriting.com

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