——  ミスコンと美女にまつわるエトセトラ  ——

「創作の源は自分」美貌を武器に成り上がったカリスマ画家

 世界的スターであるマドンナが敬愛する、カリスマ女性画家がいる。その女性が描く絵は、マドンナの「オープン・ユア・ハート」や「ヴォーグ」のミュージックビデオに登場し、マドンナが強く影響を受けていることがわかる。揺るぎない信念のもとに自己のスタイルを確立し、時代の最先端を駆け抜けた女性だ。

 その女性とは、1920年代に華々しく活躍した画家、タマラ・ド・レンピッカ。ポーランドのブルジョワ一家に生まれ(ロシア生まれという説もある)、18歳で結婚。ロシア革命によりパリへの亡命を余儀なくされたが、美貌を名刺代わりに上流階級の肖像画家として活躍。のちに社交界へと進出する。美しさと画力を武器に成り上がった根性の画家だ。


卓越したセルフプロデュース力

 レンピッカを一言で表すならば、まさしく “ナルシスト” 。そして、セルフプロデュースに長けた女性だと言える。それは自画像を見れば一目瞭然だ。よくあるシンプルな自画像ではなく、当時人気だった高級車ブガッティに乗った自身を大胆な構図で描いている。実際に所有していたクルマはもう少し安価なものだったようだが、自身を最先端をゆく女性として演出するためのものだった。


《緑色のブガッティに乗るタマラ》1925年


 実際のレンピッカは、美しく描くのも納得のいく美貌の持ち主だ。時を同じく活躍していた、マレーネ・ディートリッヒやグレタ・ガルボを彷彿とさせる、女優顔負けのポートレートが数多く残されている。



キリリと引き締まった男性的な凛々しさと、フェミニンな色気が共存した表情は、当時女性のファッションにはじめてパンツスタイルを提唱した、ココ・シャネルの姿とも重なる。恋人には女性もいたようで、それを隠さないのだから、かなりリベラルで革新的な女性だ。


創作意欲を刺激する、自身の美しさ

《緑の服の女》1930年

 

 —— エメラルドの様に輝く、妖しげな三白眼の瞳。果実の色をしたふくよかな唇。少女は瞳の色とお揃いのワンピースを身に纏い、悩ましげな表情で遠くを見つめている。大きなツバの帽子をかぶり、白い手袋をはめ、洗練された淑女のような仕草を見せるものの、どこかあどけない表情にハッとさせられる。いたずらな風は、少女の乳房や腹部の形を浮かび上がらせた ——


 題名は《緑の服の女》。成熟していない少女の、しかし確かな色気をたたえた姿が、少しばかり窮屈そうにキャンバスいっぱいに描かれている。清楚さと艶(なま)めかしさを併せ持つ、危険な香りのする少女の肖像だ。


 少女の名はキゼット。レンピッカの実の娘である。娘を官能的に表現していることに衝撃を覚えるが、それは絵に自身を投影させているからだ。彫の深い瞼と肉感的な唇が印象的なレンピッカだが、娘を描いた絵に限らず、美しい肖像画のほとんどが彼女に似ている。創作意欲を刺激する完璧な題材は、何よりも自身の美しさ……。描かれる人々はキャンバスを舞台に、まるでレンピッカを演じさせられているようなのである。


 一見鮮やかな色彩だが、自身の美しさを投影させるため、わざと被写体の人間性を隠すかのように、クールな色味で塗り固められている。冷ややかな空気感は、見る者に一瞬の緊張感をもたらす。美を見抜くレンピッカの視線が鋭く突き刺さるようだ。


輝き、陰り、そして復活へ

 1920年代は狂騒の20年代と呼ばれ、大量生産と大量消費に湧いた時代。自動車や家電製品が普及し、中流階級の生活も豊かになっていった。肖像画は上流階級だけの楽しみだったが、レンピッカの絵は有名ファッション誌の表紙を多く飾り、大衆に知れ渡るようになる。インパクトのある作風は、現代のポップアートを先見するような商業的な要素があり、雑誌にもよく合う。描き出される最先端をゆく女性たちの姿は、洗練されていて美しい。そこに投影されるレンピッカの輝かしいライフスタイルに、多くの女性が憧れを抱いた。


 当時は、女性が仕事やファッションで大きく羽ばたきはじめた時代でもある。時代がカリスマ性を持っていたのだ。多くの成功者がそうであるように、レンピッカは時代を味方につけ、自らがその象徴となっていった。


 1930年代に入り画家としての名声を確立した頃、世の中は世界恐慌の最中。肖像画の依頼は減り、1935年頃にはうつ病を患ったと言われている。すると、それまで上流階級の華やかな人々を描いたものとは打って変わり、修道女や難民など、宗教的、政治的な題材が多くなる。しかし、それらにもレンピッカの美しさが投影されていることには変わりなかった。それまでの作品よりも、人間の生々しさが加わり、背筋が凍るほどに世の中の憂いとレンピッカの苦悩をえぐり出している。


 後にアメリカに拠点を移したレンピッカは、精神の安定からか、少し華やかな作風に変わる。しかし1960代年に入ると、元気のあるポップアートが台頭し、レンピッカの作品ははじめて時代遅れのものとなっていった。

 最先端を行くはずの女性が忘れ去られてしまうのは、苦悩の日々だったことだろう。しかし、芸術や女性の美しさに陰りがあるとすれば、それは真価が廃れたのではなく、時代の興味が少し変わっただけのこと。レンピッカが再び脚光を浴びたのは、それからおよそ10年後。それから今日に至るまで、彼女がキャンバスにしたためてきた美しさは不動のものとなった。

 お金を得るため、上流階級のステータスである肖像画の世界に飛び込んだレンピッカは、少なからず時代に媚びた印象を受ける。ましてや美しさを売りにしていたとなれば、その生き方に嫌悪感を示す人もいるだろう。しかし、亡命せざるを得なかった激動の時代背景を考えると、成功への貪欲な姿勢も理解できる。表現の世界においては、少なからず自己の解放は図られるべきで、レンピッカはナルシストな姿を恐れずに解放したことで成功を掴んだ。自身の美しさを絵に投影するという型破りな信念は、間違いではなかった。

 その美貌を持ってすれば、女優でも成功したのではないかと思ったが、美しさをキャンバスに閉じ込めたのは正解かもしれない。劣化したフィルムで映し出される女優よりも、鮮やかな姿のまま後世に残り、宝石のように輝き続けているのだから……。


 最高のエンターテイナーと称されるバーブラ・ストライサンドや、性格俳優として知られるジャック・ニコルソンも、レンピッカの収集家として有名だ。彼女の絵と生き方は、唯一無二を求める人々の共感を呼んでいる。



Mariko

著者:安海 まりこ(ライター)

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