——  ミスコンと美女にまつわるエトセトラ  ——

本当の人間性が出るのは結果が出た後?「美しい負け方のススメ」

 誰もが優勝したときのことは想像するが、負けたときにどう振る舞うべきかを考えている人はほとんどいないかもしれない。だからこそ、負けたときにその人の本質が浮き彫りになる。


 ミスコンは大会である以上、優勝するのはたったの1人で、それ以外の人は唇を噛む結果に終わる。自分自身との闘いであり参加する目的も様々であるため、ミスコンを勝ち負けで語るのは好きではないが、勝負事であることは確かだ。そして何より勝ちにこだわる参加者が多い。負けてしまったとき、その事実とどう対峙するかは興味深い。


負けを何かのせいにしてしまう人

 ミスコンは自分自身をさらけ出して挑む場であるため、優勝どころか入賞もしなかったとなると、自分自身を否定された気分になるのだろう。私がその審査に関わっていると “自分を認めてくれなかった人” と位置づけられ、突然距離を取り出す人がいる。


「役者として大成しそう」

「頭が良さそうだからビジネスで成功するだろうな」


 そんな風に個人的には素敵だなと思っていた人に、残念ながら急に嫌われてしまう。そして「これは出来レースだ!」と、あらぬ方向に話が展開されていると耳にすることもあった。


 結果が出なかったことを何かのせいにしていては、「だから結果に結びつかないのだよ」と思われてしまうだけだ。 それまでの “美しい人としての振る舞い” は、大会で勝つことだけを前提に作られた、その場限りものだったということになってしまう。


他者の勝ちを認めて前を向く人

 本当に悔しいのは、優勝に王手をかけていたものの、目の前で掴むことができなかった人のはず。でも、彼女たちから不平不満の声を聞いたことはない。それなりに認められたという自負があるからかもしれないが、彼女たちは高い水準で競っているからこそ相手を客観的に見ることができ、ライバルの勝ちを素直に認める。そして、心中穏やかでなくともプライドがあるため、他人にマイナスのイメージを与える言葉を口にすることはないのだ。


「もうミスコンなんていいです!」と吐き捨てるように言ってきた人もいれば、「悔しいけれど、◯◯さんが優勝するのは納得です。次の挑戦に進みます!」と、相手を認めて気持ちを切り替える人もいる。ときには負けん気も必要だが、せっかく美の祭典と言われるものに参加しているのなら、後者の方がいいに決まっている。


 たとえ優勝できなくとも美しい負け方ができたのなら、その人は十分に美しい人なのだ。



Mariko

著者:安海 まりこ(ライター)

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